ルイ・ヴィトンの「スピーディ」が50年以上も、ずーーーっと人気の理由。|CLASSY.(magacol)

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今またルイ・ヴィトンのバッグを手に取ることが増えている理由とは?(webマガジン mi-mollet)

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“手の届く高級”ブランド「コーチ」 何度も再生を果たした理由:日経クロストレンド

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LVMH、ケリング、リシュモンという三大高級ブランドグループには属さない米国ブランド「コーチ」は何度も危機を迎えながらもその理念に立ち返り、再生を果たしてきた。そして、同ブランドの現在の課題は、成長の原動力となった“手の届く高級”からの脱皮だろう。

前回は「ルイ・ヴィトン」を事例にラグジュアリーブランドビジネスを取り上げ、老舗ブランドが再生する過程を探った。ラグジュアリーブランドビジネスは、「クリスチャン・ディオール」「フェンディ」などを傘下に持つLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンを筆頭に、「グッチ」「ボッテガ・ヴェネタ」「バレンシアガ」などを持つケリング、「カルティエ」「ヴァン クリーフ&アーペル」などを持つリシュモンの三つどもえが続いている。

老舗ブランドがこういったグループ傘下に入ることで方向転換を行った事例は多い。家族経営で非上場のときは「最高品質のものを作って使ってもらうこと」が最優先だったが、「合理化を図って多くの利益を出す」「ファッション化して高付加価値化する」ことで、定性・定量双方で再生したブランドが少なくはない。

一方、規模の拡大を目的としたマーケティングの中で当初の理念といつの間にかずれていき、ブランドアイデンティティーを立て直す事例もある。上記の三大グループの傘下ではないが、米国の「コーチ」は歴史あるブランドの1つであり、再生を重ねて今に至っている。

衰退と再生を繰り返した米国ブランド「コーチ」

1941年、米ニューヨークで革製品の工房としてスタートした同ブランドは、野球のグローブ素材に発想を得た「グラブタンレザー」という革を用い、職人技を駆使したモノ作りで高い評価を獲得。60年代にはそれまでのかっちりしたスタイルではなく、軽やかなデザインを打ち出して成功した。プレッピー(米国東海岸のプレップスクールのファッション)が流行った80年代には代表的なブランドの1つとして脚光を浴び、人気ブランドになった。それが、バブル崩壊後の90年代あたりから、徐々に勢いをなくしていく。世の中のファッションがさらなるカジュアル化に向かう潮流を捉えきれなかったのが理由の1つだった。

その状況を脱する転機になったのは、2001年に発表した「シグネチャー・コレクション」だった。「C」の文字を組み合わせたグラフィカルな柄を革ではなく、軽くて丈夫なキャンバス地に織り込んだオリジナル素材を前面に打ち出した。しかも“accessible luxury=手の届く高級”をコンセプトに、ラグジュアリーブランドより手ごろな価格に抑えた。これが、使い勝手が良くてモダン、しかも価格的に手に入れやすいことからヒットし、ブランドイメージは一気に若返った。ブランドの再生は大成功だったのである。

しかしここで、ブランドが試されるハードルが立ちはだかった。ルイ・ヴィトンのモノグラム柄をはじめ、ラグジュアリーブランドの多くはそのイメージを体現するアイコンを持っている。アイコンはそれがあしらわれた商品を多くの人が持つことでブランド認知が広まるので、重要な存在だ。

ただ、ある臨界点を超えて大衆化し過ぎると、憧れの要素が薄まってしまうのだ。「街中であまりに頻繁に見かける」「ああいう人まで持っている」となってきた時点で要注意。何らかの手を打つことが必要なのだが、これが難しい。売れているものを止めるのは簡単なことではないし、買っていくお客を選ぶことは難しい。ブランドが成長していく過程で出てくるこの課題を、どう乗り越えたらいいのか。

他ブランドの事例を見ると、80年代半ばに「プラダ」が出したナイロン生地のミニリュックと、90年代の終わりに「エルメス」が出したキャンバス地のトートバッグは、それぞれ品切れになるほど人気だった。コピー商品も含め、街中でごく頻繁に目にするようになったのである。それに対し、ブランド側はどう対応したのか。プラダはあまりに出回っている並行輸入品などを厳しく見直し、イメージを守る方向に動いた。

エルメスも、過剰に行き渡ってブーム化することを察し、生産と販売をコントロールする策を講じた。ブランドイメージが損なわれるのを懸念してのことだったが、そもそもキャンバス地のトートバッグは、リゾート地のビーチサンダル用として作ったもの。それが、他の用途で使われている。使い方は自由ではあるものの、ブランドの理念を違えるのではと危惧した、とその理由を聞いて納得した。

シグネチャー・コレクションが大ヒットしたコーチも、同じような状況にあった。「C」の文字を組み合わせたバッグを持った人が増え過ぎることで、再生した当初に打ち出した新鮮な若々しさが、見慣れたもの、見飽きたものに近づいていった。手の届く高級が“日常的な大衆品”に寄っていったのである。

そこでまた、ブランドの再生ともいえる策をスタートした。2010年代に入ってから、再び上質な革を使ったバッグラインを出すとともに、アパレルに力を入れて斬新なコレクションを発表している。ブランドが生き続けるための要件である「理念は変えず、時代に適応して変化する」という視座から、ブランドの原点に立ち戻ったのである。最高級のレザーを用い、機能的でモダンな製品作りに正面から取り組んだ。

さらに、新しい試みも意欲的に行っている。13年には「ロエベ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたスチュアート・ヴィヴァースを起用し、ディズニーやセレーナ・ゴメスとのコラボレーションなど、話題を呼ぶ企画を次々と打ち出した。挑戦し続けている姿勢に、改めてブランドを磨いて強くしようという意志が感じられる。

「手の届く高級」からの脱皮が必要

ただ、2000年代の勢いになかなか戻れない点をもどかしく思う。それはなぜなのか。理由の1つに手の届く高級というイメージが、想定以上に定着してしまったことが挙げられる。

ブランドの位置づけを分かりやすく伝えるコンセプトではあるものの、ブランドが目指す理念ではない。高級・低価格という価値軸は物差しとして分かりやすいが、そこにストーリーや思想といったものは含まれていない。極端にいえば、知名度と品質を備えたリーズナブルなブランドというイメージ。それが行き渡り、本来の理念が少しかすんでしまっている。

だから、本来の理念に基づいた商品を出しても、目に見える効果が現れるのに時間がかかる。ここまで行く前に策を打っておけば、もう少しスピーディーに事が運んだのかもしれない。こういった事例を見るにつけ、ブランドは志を明らかにしておくことが欠かせないし、これからの時代はその重要度がますます上がっていくと思う。

20世紀にラグジュアリーブランドが広がった背景には、「ロゴが付いたものを持つことによる豊かさ」という意識がどこかに働いていたが、それが変わってきている。ロゴの有無にこだわるのではなく、ブランドの志や理念への賛同へ。周囲の人に対して富裕であることを顕現するのではなく、自身がブランドの志に共感し、使うことを通して自己表現するようになっているのだ。

ブランドは一気に人気が出てうなぎ登りの曲線を描くよりは、理念に基づいて粛々と成長していくほうが長生きする。理念に根差していることが信用につながり、顧客が付いてくるからだ。トップに位置しているラグジュアリーブランドだからこそ、理念に基づいて切磋琢磨(せっさたくま)し続けることが求められる。

ちなみに、日本でラグジュアリーブランドといえるのは、ジュエリーの「ミキモト」「タサキ」、時計の「グランドセイコー」あたりだろう。アパレルはこれと思うものがない。強い理念をもとに、長きにわたって愛される上質なブランドを、ぜひ育ててほしいと思う。

(写真/Shutterstock)